引っ越してから4月8日まで



では、1986年(昭和61年)4月8日(火)に起こったあの衝撃的な事件をダイジェストのような感じで振り返ってみよう。

■1986年4月4日(金)■
南青山で一人暮らしをはじめる。テレビ朝日の「歌謡ドッキリ大放送」に出演。

■1986年4月5日(土)■
渋谷公会堂で“ハートジャック・コンサート”を行う。
その中で、ファンに“失恋”という詩を披露する。

■1986年4月6日(日)■
地元・名古屋市民会館でコンサート。これがラストコンサートに。19時に実家に戻り20:53の列車で母と別れる。

■1986年4月7日(月)■
 PM7:00
 渋谷パンテオンで開かれた「ロッキー4・炎の友情」の試写会に出掛ける。女性と一緒。マスコミの取材を受け、笑顔で「シルベスター・スタローンは最高ですね」。

 PM8:30
 終映。

 PM9:00〜10:00
 南青山の自宅に帰宅して、ガス自殺の予行演習のものをしたという。ガス臭い匂いがマンション中にたちこめ、ちょっとした騒ぎに。しかし、すぐにおさまった模様。
 
 PM10:00
 その頃、溝口伸郎マネージャーから電話。テレビドラマの収録開
始が1日延びたことを知らされる。「あらー、残念ねぇー」と言っていたという。 声も非常に明るかった。

PM11:00
さらに彼女の友人がTEL。

PM11:30
タレントの石野陽子がTEL。4回ほど鳴らしたが出なかったので切る。

その期間の間に外出(?)、彼女はタクシーで成城に向かいそこに住む男性(峰岸徹)の自宅前で一晩、一人寂しく過ごしていた模様(真偽は定かでない)。

■1986年4月8日■

AM5:00
タクシーを拾い、東京駅の八重洲口に向かう。彼女は泣いていたそうだ。

八重洲口の手前で車を降りた彼女はそれから、一人住まいのマンションに帰った(ほんまかいな)。

AM9:00
 マンションの住人が管理委員の部屋(3階)を訪れ「4階がガス臭い」と報告する。
 AM10:09
 警視庁通信指令センター(110番)から赤坂消防署に救急車の出動要請が入る。

 AM10:16
 救急隊がマンションに到着。鋭利なナイフで左手を切っており、周辺ではかなりのガスの匂いがした。押し入れの下段にて涙を流し泣いていた。

 AM10:20
 ロータリーマンション管理委員からサンミュージック総務部に「岡田さんが
自殺を図り救急車で病院に運ばれた」と電話を入れる。

 AM10:33
 東京・北青山の北青山病院に毛布にくるまれ運ばれる。直ちに縫合手術で左手首を4針縫い、傷口の手当て、投薬。同病院側は正常な受け答えができ指も動くので「入院の必要なし」と判断。彼女は号泣していたという。

 AM11:15
 サンミュージック福田時雄専務。山崎結美両マネージャーが北青山病院に到着。

 AM11:50
 「岡田有希子自殺未遂」とマスコミ関係者に伝わり、大混乱となる。

 PM12:00
 サンミュージックに運ばれる。「トイレに行きたい」と言い、見張りをつけ用を済ます。その後、福田専務らと社長室に入り「コーヒーでも飲むか?」と言われるが拒否、「じゃあ、冷たいもんでも
飲んで気を落ち着けなさい」と言われ、わずかにうなずく。

 PM12:15
 サンミュージック相沢社長から福田専務に電話が入り、福田専務が「本人の前では」と席を外したスキに、山崎マネージャーに「ちょっとティッシュを・・・」と言って、屋上にかけ上り、飛び降り自殺。






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