最初の推理



そこで、私が当初(2005/9/11)推理した岡田有希子と峰岸徹の関係はこうだ。

1985年秋

夏が終わり、突然ぐっと寒くなる頃、岡田有希子は、初の主演連続ドラマである『禁じられたマリコ』で峰岸徹と出会い、けっこう親しい付き合いになった。

峰岸にいろいろ演技の事について聞いた。峰岸もよく岡田有希子を可愛がり演技や恋愛などにについて話し合ったり教えたりした。有希子は自分の書いた詩などを峰岸徹に見せた。

そのうちに食事に行ったりする仲になった。車で送ってあげたりもした。

峰岸は断るに断れない男である。自分には他に付き合っていて結婚する予定である女性がいた。しかし、頼まれれば断れない性格の峰岸は、岡田有希子の誘いについつい乗せられてしまう。

岡田有希子はそれはもう、自分にとても親切にしてくれる峰岸にたいへん好意を抱き、友達という以上の感情を持ち始めた。

しかも、峰岸は頼まれれば断れない性格だから、断らなければと思いつつ、タイミングやチャンスを逃し、ずるずる付き合った。

岡田有希子は性格上、「やる」と決めたらそれに突き進んでしまうタイプである。
もうメロメロ。「峰岸さんとなら」と、思ってしまっていた。


しかし別れの時が来た。

峰岸徹がとうとう心を鬼にして自分には婚約者がいてその気がないことを告げる。

「これからも仲のいいお友達でいよう。お譲ちゃん」

それが1986年の3月のことだろう。

それからというもの、峰岸は有希子を避け始める。

「友達でもかまわない」

そう言ったのは彼女の方だ。彼女は彼にすべてを捧げようとした。そのようなことを言った。

「もっと自分を大切に・・・」

彼はそう言って彼女を説得する。

岡田有希子は失恋した。要するにふられた事を悟った。

絶望である…。

しかし、もう一度峰岸に会って、忘れられない峰岸を繋ぎ止めようと連絡をしたのだ。

そう、何度も。

しかし、彼とは連絡が取れない。居留守を使っているのか、婚約者のところにいるのか・・・

4月7日に会う約束をする。(4月7日がちょうど有希子の休日だからだ)

約束と言っても有希子の一方的な約束だったかもしれない。留守電に入れただけとか手紙で書いて送ったとか。峰岸とは直接、「会いますよ」(行きますよ)という取り付けは出来なかったのかもしれない。

有希子にすれば、4月7日が決死の覚悟で望んだ日だったのだろう。

もしかしたら、峰岸に会えたなら自殺をほのめかしてつなぎ止めようとしたのかもしれない。「失敗すれば死んでもいい・・・」。そう思ったかもしれない。

しかし、約束の日、峰岸はいなかった…。

もう、そこで彼女にとってすべてが終わった。

それで、皆さんのご存知のような結果になった。

「峰岸さん」という書き出しで始まる遺書を残して・・・



ま、これが僕の当時の2人にあっただろう推理だよ。

そんなストーリーだったら、彼女のとった行動など、すべてにおいて納得が行くような気がする。

岡田有希子は決めたら本当に自殺でもするような性格。峰岸徹は頼まれれば断れないタイプ。その二人が絡むとそんな結果になってしまうだろうと察しがつく。

でも、これはあくまでも推理だから。

当初、そう考えてたんだけど、今現在(05/10/30)はあんまりそこまでは思わないんだけど、それらは参考にした書物やサイトがあって、


噂の真相・峰岸徹ダミー説(「サンミュージック」の話は最近10月に入ってから)
「文藝春秋」昭和六十一年十月号
「女性自身」昭和六一年五月六日号か同五月二十日号(いま手元にない)
http://www.geocities.co.jp/MusicStar/5988/aiwo/aiwo_7.htm
http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/yukko.html

これら読んで、その推理をしたんだけど。

それで、その4月4日から4月8日の彼女の行動を僕なりにまとめるとこうなる↓



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